半年ほど前資格試験取得のために都内へ行った時、駅を出ると建設中のビルに大きな垂れ幕が。そこには”SDGs〜誰一人取り残されない社会”という大きな文字が書かれていました。 誰一人とり残されない社会。まるで夢物語のようなその社会は、果たして実現可能な社会なのでしょうか。 世界は、変わることができるのでしょうか。 その大きな鍵を握っているのが、「子供たち」です。 未来は、今の子供達が作っていくものです。 今回は、これからの未来を築いていくポイントとも言える教育。 インクルーシブ教育について執筆していきます。
インクルーシブ教育とは何?インクルーシブ教育と合理的配慮
インクルーシブ教育とは、障がいのある者と障がいのない者が共に学ぶ仕組みのことを言います。 2006年12月の国連総会で採択された「障害者の権利に関する条約」で示され、障がいを持つ方々が自分の持つ能力を最大限発揮することができ、貢献できる社会を築くことを目標としています。 現在も多くの小学校、中学校が障がいのある児童と、障がいのない児童を分けて授業を進めています。 もちろん、両者を一つにすることで生じる問題や課題はありますが、一つになると得られる多くのメリットもあります。 障がいのある子どもに、そうではない子どもと同じことをするよう求めるのは現実的ではありません。「共に学ぶ」ということは、「同じことをする」ということとは少し意味が異なります。 障がいを持っている子供が、そうではない子供と共に学ぶ時に絶対に必要になってくるのが、合理的配慮です。 合理的配慮とは、わかりやすい例で言うと、視力が悪く黒板の文字を読むことができない子供が、メガネをかけることや、後ろの席では授業に集中することが難しい子供が前の席にしてもらうことなども合理的配慮です。 みんな同じ条件下で物事を進める平等、今までの日本の社会ではこのような平等が重んじられてきました。ですが、平等は公平とは異なり、一人一人が必要としている配慮は異なります。 得意なこと、苦手なことは皆異なり、特に障がいにより「簡単ではないこと」が人それぞれにあるからです。(図を参照) 適切な人に適切な配慮を。 それがインクルーシブ教育を成功させるキーポイントと言えます。
インクルーシブ教育と特別支援教育との違い
今の小学校、中学校の現実は、学習障害や注意欠陥多動性障害、自閉症スペクトラム等などの障がいのある子供が増加し、不登校の児童も増えています。障がいがあるとの診断が出ている子どももいれば、集団での生きづらさを感じつつも、その正体には気づいていない子どももいます。障がいの診断のある子供は、希望をすれば特別支援学級に入ることができますが、普通級とは学習の進み方か大きく異なるため途中から普通級に変更することが簡単ではなかったり、普通級の子供たちからは、「支援級の子」「自分たちとはちょっと違う子」などのレッテルが貼られることがあったり、偏見を持たれる要因にもなります。 一方、インクルーシブ教育は一つの教室の中でその子その子にあった合理的配慮があるため、その子の苦手とすること、配慮が必要なことが他の子供たちにも伝わりやすく、同じクラスの一員として過ごすことで仲間意識も生まれやすいです。 人と違うことは悪いことじゃないという意識。一人一人の個性を尊重し受け入れること。 できる子、できない子の2者だけではなく、「私はこれはできるけれど、これは苦手」「あの人はこれは苦手だけど、あれは得意」と、できることもできないことも認められる社会が、教室という小さな世界の中で生まれ、それがやがては社会にも広がります。
「インクルージョンは、学習、文化、コミュニティへの参加を促進し、教育における、そして教育からの排除をなくしていくことを通して、すべての学習者のニーズの多様性に着目し対応するプロセスとしてみなされる。」(『インクルージョンのための指針』2005年、13頁)
つまり、ハンディキャップのある人を教育から排除していくのではなく、学ぶ人の多様性に着目し、対応することがインクルーシブ教育の根本的な考え方となります。
インクルーシブ教育のメリットと効果
インクルーシブ教育のメリットについてお伝えする前に、世界がこれまでの流れを変えインクルーシブ教育を取り入れた背景についてお伝えします。 第一に、これからの時代は国際化、高齢化、情報化がますます進みます。 第2に、国際化や情報化が進むことで、特別なニーズを持つ方も個人の考えで学びの方法やツールの選択肢が広がり、選べる時代になってきています。それに伴い、より多様性に寛容な社会が求められていくでしょう。 第3に、少子化と言われる今の時代、今後高齢化はますます進みますが、年を取れば歩けなくなったり、認知機能が低下したり、不自由を感じるのは自然の流れですが、高齢者であっても社会に貢献していくことを求められる時代になっていくと考えられています。 そういった時代背景をふまえ、世界的にインクルーシブ教育を推進していくことが10年前より行われています。 では、インクルーシブ教育が日本にもっと浸透したら、どんな良いことが起こるでしょうか?
- 自分とは違う考え方や、特性を受け入れるきっかけとなる
- 差別意識、偏見、決めつけが少なくなる
- 障がいのある方は今より生きやすくなる
- 社会での自分の特性の活かし方を幼いうちから学ぶことで、社会に貢献できる人が増える
- 合理的配慮が当たり前になることで、障害者だけでなく高齢者の仕事の幅が広がり、活躍の場が広がる
いつか、困りごとがあると自覚しながら、みんなでサポートし合うのが普通の社会になったら、本当に良いですね。 その為には、社会を構成する私たち一人ひとりと、多くの人が多様性についての捉え方を変える必要があります。
インクルーシブ教育の課題
WHOの障害についてのとらえ方が大きく変化し、できないことを見つけてそれを治すという観点から、まわりの人がどう手助けしたらスムーズに社会参加ができるかという考え方へ大きく変化したのが2001年。 それから10年、文科省は2013年度からインクルーシブ教育システム構築事業を進め、(2016年度はインクルーシブ教育システム推進事業を進めている。 現在小、中学校で行われている支援学級や、交流級、通級などの支援の必要な子供が選択できる様々な教育システムもそれらの事業の一環ではあるが、「共に学ぶ」という形が出来上がっているとは言えない現状があるのは何故なのだろうか?課題となる点はたくさんありますが、その中の一部をご紹介します。
教員の負担
日本の小学校の人クラスの人数は平均して30〜40人、その人数を一人の担任の先生が見ています。 プラーナ相模原のカリキュラムの一度に参加される人数は20〜25人。ただ講師の話を聞くというだけのカリキュラムであればこなすことはできますが、それでご利用者様一人一人が皆カリキュラム内容を理解できるかというとやはり難しく、時々サポートの職員がはいりフォローをしたり、個別に質問や相談を受けることで学びを深めていただいています。 その倍の人数を、多様な特性を持つ子供たちを一人でまとめるとなると、教師の負担も容易に想像がつきますし、子供たちが学ぶ環境としても良いとは言えません。 教師の負担を軽減することは、課題の一つです。
「みんな同じが安心」という考え方
日本人ほど、流行に左右される人種も少ないのではないでしょうか。 最近の若い世代の子供たちは少し変わっていているのかもしれませんが、私が学生の頃は「個性」よりも「人と同じ」ことに価値を感じる人がとても多かったです。 有名な人の真似をして、同じ髪型、同じ服装、同じメイク。みんな同じ顔をしていました。 協調性を持つことはとても大切なことではありますが、協調性と「みんなと同じが安心」という考え方とは似ているようで異なっています。 前者は自立していて、後者は依存の傾向が強いです。 「みんなと同じだと安心」という考え方は、行き過ぎるとみんなと違う人を排除したり、同じことができない自分に劣等感を抱いたりという感情につながります。そして、他者と比べ、人に優劣をつけるのです。 この様な考え方はインクルーシブとは真逆です。インクルーシブ教育を根本的な部分から推進していくには、根本的な考え方を変えていく必要があります。
まとめ
インクルーシブ教育について、ここに挙げた課題はごく一部です。
インクルーシブ教育を推進していくには、今までの歴史の中で築き上げてきた「当たり前」や「普通」、もしくは自分自身の中に築いてきた「当たり前」を根底から見直す必要があるかもしれません。
それは教育現場だけ変われば良いという問題ではなく、家庭から、個人から。
人はみんな違う。違って良い。自分とは違う考えに対しても、「それでいいんだ」と受け入れる。違う相手と一緒に生きていくには「どうしたら良いんだろう?」を考える。
その工程が必要なのかもしれません。
―次に繋げる―
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